MSWと「身寄りなし」について

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今回は、「身寄りなし」というテーマでコラムを書いていきます。

 こんにちは、現役MSW(医療ソーシャルワーカー、社会福祉士)のヒナタザウルスです。

 今回は、「身寄りなし」というテーマでコラムを書いていきたいと思います。

 (なお、今回のコラムはあくまで私の個人的な意見です。ブログはそもそもそういうものですが、強調してお伝えしておきます。)

 これまで、身寄りなしの方を扱った事例をいくつか紹介してきました。 

 (以下、頼れる親族の方がいなかった事例ブログ)

 また、孤独死に関する本も数冊紹介させていただきました。

 (以下、過去紹介した孤独死関連の本紹介ブログ)

 そのうえで、私がMSW(Medical Social Worker:医療ソーシャルワーカー)という立場でこれまで関わってきた「身寄りなし」の方々の事を考えながら、私なりに思うところがあるので書いていこうと思います。

支援はしやすい→希望が叶いやすい

 一言で言うと、身寄りなしの方は「支援しやすい」と思っています。MSWとして本人の望む形で退院支援をしようと考えたときに、障壁となるものは「体調的問題」「金銭的問題」「家族関係の問題」この3つが多いです。

 身寄りなしの時点で、3つのうち1つが無くなっているような認識です。

 「自分の事を自分で決めることができる。」この事実がとても大切です。場合によっては、私のようにMSWとして病院で支援するものなどと、一緒に自分の事を決めることがあるかもしれません。

 逆に、ご家族がしてしまいがちな「良かれと思って本人の希望を聞かず」判断し、本人を説得する方向に試みる。という専門職は(ほとんど)いないはずです。

 そうなると、本人の希望は当然、一人の方が叶いやすいです。

身寄りなしの方がいいのか?

 こういってしまうと、「身寄りなし」の方がいいのか?という疑問を持たれてしまうような気がするので、少し弁明させていただきます。

 今回は身寄りなしの方が、ご家族に恵まれている方より「幸せか」という議論ではなく、「MSWとして支援しやすいか」というお話です。

 それまでの人生でどちらが幸せかなど、私が語るつもりはありません。(個人的な事をいえば、今私は家族がいて、とても幸せをもらっているので、家族は居た方がいいと思ってはいます。)

 ただ、今回は「1人の患者」として支援を受ける立場で考えたときに、「身寄りなし」は悪いのかという問題です。言ってみれば、入院した時点ではみなさん同じ一人の「患者様」です。身寄りがいる方が、痛みが緩和したり、感染がおこりにくいということはありません。

 そのうえで、MSWとして入院中や退院後の環境整備で支援をするときには、本人の体調を基に、「本人と家族」に相談して調整してくところ、「本人だけ」と調整すればよいのですから、わかりやすく、支援しやすいのです。

 もちろん、ご家族がたくさんいて、孫もたくさんいるような家庭に、家族が介護してくださる前提で帰る高齢者の方は幸せそうに見えました。ただ、少なくとも私が支援した方たちの中でそのような方は一握りだったと思います。

 残念ながら「今回の入院を気に、施設とかに入ってほしいから、相談員さんからも言ってほしい」などどいった事をご家族に頼まれることのほうが多かったです。

 そして、そう提案するご家族の心理としては、自分たちがその方が楽だからという思考が働いているのは明らかであるように思いました。(このことが悪いとも思いません。)

 ご家族との関係は、そこまでの生き方によると思うので、一概には言えませんが、(過去にここの部分について書いたブログがあったので紹介します → 第33回 多くの方の最期の時期に立ち会って)家族に「自分の期待する支援」を受けようと考えるほうが難しいのではないかと思います。

では、「身寄りなし」に死角はないのか。

 ここまで書くと「身寄りがない方がいいのか」と思われてしまいそうなので、「身寄りなし」の方の弱点を書きます。

 「身寄りなし」の方が望んだ形で病院から退院調整をされるために、または望んだ終末期を迎えるために、問題となりえるものが大きく2つあります。

 まずは、「金銭管理」です。自分でATMなどでお金をおろすための「身体能力」や、管理するための「理解力」などだと思ってください。

 金銭の管理が自分でできなくなると、多くの選択肢を失います。例えば施設や病院(今回は退院支援先として考えて療養型病院)で、「金銭管理」ができない患者様を受けてくださらないところは多いです。

 金銭管理に関しては、「成年後見」など、頼れる制度も多いですが、いかんせん手続きに時間がかかります。そうこうしていると、本人の希望を叶えることが、かなり難しくなります。

 それに、文字通り「財布の紐」を他人に握られるため、「自分の事を自分で決めることができる。」という最大のメリットがかなり遠ざかる印象です。

 もう一つが「認知症」です。「認知症」になると(認知症だと判断されると)、少なくともいまの日本ではかなり自由が奪われます。

 ご本人の主張が、「認知症高齢者の主張」に変わることで、聞き入れられにくくなる場面は何度も見てきましたし、私自身も支援するうえで同じ言葉の重みと考えることができない場面が多いことは、否定できません。

 いろいろな本にあるように、認知症の方を無理やり入院させることや、騙すように施設に入れることは、よい事であるわけがありません。

 ただ、一方で例えば「認知症」の診断がついている方を自己決定だけで、希望する退院先の調整などをすることは難しいです。残念ながら多くの場合で、だれかに迷惑をかけてしまうのではないかと、「身寄りなし」の方を支援する専門職たちは考えるはずです。

 専門職が勝手に考えても、本人の希望は?と言われてしまいそうですが、身寄りがないことで、むしろ周辺の「他人」の発言権がましてしまうことは多々あるのが現状です。

 ただ、もし家族がいた場合は、認知症になった本人に替わって発言できます。言い方を変えれば、「守る」ことができる可能性があるのです。本人の思いがどこにあるかを代弁する可能性が高く、その発言にもさまざまな場面で重みを持たせることができる存在こそが「家族」なのかもしれません。

 「身寄りなし」の方が支援しやすいという事をたくさん書いたので、最後に弱点を紹介させていただきました。

おわりに

 日本は超高齢化社会であり、今後は多くの方が他界されていきます。お1人で、終末期を過ごす方も当然増えていくと思われます。

 「身寄りがない」ことの善悪を語る気も、まったくありません。ただ一人のMSWが思ったことを書いていると捉えていただければ、幸いです。

以上、MSW(医療ソーシャルワーカー、社会福祉士)ヒナタザウルスのブログでした。
最期まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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